日曜日の晴れた朝はスーパーカーの「スリーアウトチェンジ」。iPhoneのスピーカーで流しながら支度をして外に出る。今日は長野マラソンがあり、父が出るので近所の沿道で母と見守ることにした。14000人くらい出ているとのことで、走る速さはどうであれ全員が42.195キロを走ると思うとリスペクトしかない。わたしたちの隣には近所の時計店のおじちゃんが脚立をもって見守っていて、ランナーの中にたくさん知り合いがいるようだった。おそらく毎年ここで応援しているんだと思う。「今のは善光寺のどこどこの住職さん」「今のは息子ね」と時折教えてくれて楽しかった。わたしたちも来年からはここで応援しようか、なんて話す。父は序盤から頑張りすぎないようにしているらしく、マイペースな感じで走って来た。無事完走できますように!
マラソンの見守りを終えたあと、洗濯機を回したり読書をして約束までの時間を過ごす。今日は好きな人とカレーを食べに行く約束をしている。カレーを食べに行くだけでもいいけど、せっかくだからと少し早めに集まって散歩することにしていた。この人は建築の勉強をしているのもあってか散歩をするのがとても上手で、今日の散歩もとても楽しかった。幼い頃から何度も行ってるはずの場所に、今まで見たことのなかった部分をいくつも発見したりした。
あなたの目や言葉を通して知る世界のことが、わたしはとても好きだ。いつだって、わたしの知らない世界をあなたは知っていて、それを上手く説明できる術ももっているんだから、すごいなと思う。尊敬している。同時に、わたしはあなたに与えられるような広くて深い知識なんてほとんどないし、それを伝える技術も持ち合わせていないから、自分の小ささというか幼さも少し感じてしまう。瞬間ではそんなことを忘れてしまうくらいに、いつも楽しい時間ではあるけれど。
予約していた時間になったのでカレーを食べに行く。今日のカレーは、カフェが併設されている古道具屋さんでのポップアップで、ここには共通の友だちや知り合いが働いているのでごあいさつ。定番だという酸味の効いたチキンカレーと、レモン山椒キーマのあいがけプレート。副菜のアチャールや野菜がたくさん盛られていて嬉しかった。アチャールも酸っぱいカレーも大好き。カレー屋のスタッフさんかと思いきやお店の常連だというおじさんが、お手伝いとしてドリンクのサーブなどをしていて、それぞれのカレーを少しずつ食べてもいいし、全部混ぜても美味しいと教えてくれた。常連だからいろんな方法で食べ尽くしているらしい。食べ終えるとお皿に描かれた花の絵が出てくるのもよかった。

飯山市にあるcurry spice 山路さんの
山路カレーとレモン山椒キーマのあいがけプレート
食べ終えたあとは古道具コーナーを少し眺めて、散歩を再開した。さっきとは逆方向へ。お気に入りの公園があって、公園でそれぞれの時間を過ごす人たちのことを何となく観察する。時を同じくして家族のLINEグループに、ゴール付近を走る父の動画が送られてきた。あと少し!もうしばらくしたら、父がゴールした時のタイマーの写真と、ゴール地点で応援にきていたもう中学生さんの写真を送ってきた。タイムはそんなに速い方ではないんだろうけど、フルマラソンを完走しているだけですごいし、速さや記録を目的にせず走っているところが父のいいところだと思う。いきなりフルマラソンに挑むのは難しそうだけど、ハーフマラソンくらいならいけるかな?なんて話したりした。他人や状況に強いられて走るのには苦痛を感じるけど、楽しむことや体を動かすことを目的に、自分のペースで走ることならわたしでもできそうな気がしている。
風が冷たくて少し寒かったので、歩くのを再開していつもの本屋さんに少し寄ったあと、出勤。未だかつて出勤前の時間をこんなに充実させられたことがあっただろうか。非常によい気持ちで働く。日曜日なので、週末にくる常連さんとお会いできて嬉しかった。韓国映画が好きな常連さんが、今度イ・ビョンホンのファンミーティングに行く話を楽しそうに話すのでひたすら聞いたりした。
初めてちゃんと好きな人のことを「好きな人」として書いている。別の友人と話していた時、「〇〇より好きな人っているの?」と訊かれてハッとしたことがあった。どんなに考えても他には誰も思い浮かばなかったから。今まであまり考えてこなかったけど、「好き」にも質量ってあるんだ、そんなことに気づいた瞬間でもあった。いろんな種類で好きな人はたくさんいるけれど、今のわたしがはっきり「好きな人」と形容できるのは、いちばん大きな質量で好いているこの人だけなんだと思った。だからそう書いてみている。ちょっとだけ恥ずかしくもある。
「好きな人」というのは関係性でも何でもなくて、わたしの一方的な気持ちの表れだ。わたしたちの関係性は名前をもたない。友人ではあると思うけど。恋人になりたいのかは、自分でもよくわからない。そうなったところで何か特別したいことがあるわけでもないし、恋人になるということは関係性に名前を冠したいだけのような気もしている。そういうことではない。
友人とか恋人とかパートナーとか、関係性の名前というのは、あるいは未来に対する約束のようにも思う。互いが互いの味方であるという約束。互いのことだけを好き合うという約束。互いの長い人生を支え合うという約束。わたしは、約束が欲しいのだろうか。
今のわたしたちはわかりやすい名前も約束ももたないところにいる。そんなわたしたちのことがわたしは好きだし、今いるここは心地の良い場所だと思っている。