20220923-0925

20220923

祝日。午前中、父と母が映画を観に来てくれた。それだけでなくてもいつもよりお客さんが多い。映画が終わる頃に休憩に行かせてもらえたので、一緒にお昼を食べた。こないだも上越まで行ってスパイスカレーを食べたというのに、やっぱり今日もいつものスパイスカレー屋さんに行ってしまう。日替わりの「蓮根とおからのチキンココナツキーマ」がとても美味しかった。皮ごと使ったというライムのアチャールもかなり酸っぱくてよかった。連休初日だからかカレー屋さんもいつもより忙しそう。

カレー3種盛り:定番のチキンカリー、蓮根とおからのチキンココナツキーマ、
紅玉とセロリのサンバル。ライムのアチャールをトッピング。

午後にも偶然、叔母が映画を観に来てくれてびっくりした。午前中にうちの両親も来てたんだよと言ったら笑ってた。他にも、顔見知りのお客さんが来てくれて嬉しい。

夜は友人と飲みに出る。大雨の中、最近好きな豆腐料理がメインの居酒屋へ。こないだ自分で作って失敗した納豆オムレツや、麻婆豆腐やら湯豆腐やらたくさん食べ、相変わらず芋焼酎のソーダ割ばかり飲む。この友人とは一時期隔週くらいで飲んでたのだけどここ最近は全然だったので、久しぶりにたくさん話せて楽しかった。

20220924

映画館に4日連続で来てくれた大学生の女の子がいて、思わず話しかけてしまった。古い映画館なので常連さんはほとんどシニア層ばかり、何度も来てくれる大学生はめったにいないので嬉しい。しかも連続でウォン・カーウァイを観に来てくれたことがとても嬉しかった。もうちょっと話して仲良くなりたいな。ウォン・カーウァイの映画は好きだと言っていたので、仲良くなれる予感は大きめ。
他のお客さんとも、レスリー・チャンの話で盛り上がったりと楽しかった。

20220925

今日観た映画:ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』(1997)『花様年華』(2000)

久しぶりに天気が良かったので、枕カバーやらシーツやらをここぞとばかりに洗濯機に突っ込む。やっと洗濯できてスッキリ。広いベランダに干した真っ白なシーツが揺れる様子を見ているのは楽しい。カネコアヤノのあの歌。今日は絶対に頑張らない。

午後は映画。
『ブエノスアイレス』3、4年ぶりに観た。思ったより記憶が曖昧。「やり直そう」という言葉から始まり、そして「やり直そう」という言葉でモノクロからカラーに変わる瞬間にドキッとする。タンゴを踊るシーンは2人にとっていちばん幸せなシーンだった。チャン・チェンが声について語る場面がやっぱり好き。『恋する惑星』『天使の涙』で、缶詰の賞味期限になぞらえて恋にも期限があることを描いてきたり、人に寄り添った時に感じられるあたたかさは永遠だった、なんて語ってきたことを思うと、ファイにとって、ウィンとの恋の期限はあのカセットテープに録音した時に終わりを迎えていたし、ウィンは永遠だと思っていたファイのあたたかさが忘れられなくて、涙を流していたのだと思う。

『花様年華』こちらも久しぶりだったので、思ったより内容を忘れていた。タイトルの「花様年華」の文字から全てがアートだった。全場面、一枚一枚切り取って額縁に飾れる。今までの作品は手持ちのカメラで、登場人物を追ったりドアップで表情や目線を写したりと躍動感が印象的だったけど、花様年華はほぼ定点カメラで撮っていて、登場人物の表情を空間ごと映し出しているのがまた良かった。だからこそチャイナドレスを纏ったマギー・チャンのシルエットの美しさが際立つ。歩いている足元の動きや食べているときの手元を追ったり、背中越しに撮ったりとか、あるいは部屋の時計を写しながら電話での会話を流したりと、顔を映さずともその人の表情が感じられた。チャウとチャンの互いの配偶者の存在を、顔は一切見せずに電話の声や後ろ姿だけでほのめかすのも良い。音楽も良くて、3拍子のチェロの重低音がいちばん似合う映画だと思う。最後の、カンボジアの木の穴のシーンの意味がやっと理解できて、ここから『2046』に繋がってくのか…!と合点がいきました。記憶していたよりずっとずっと素晴らしい映画で、いい意味でなんだか打ちのめされた気分で劇場を出た。

わたしが映画館で『花様年華』に打ちのめされている間に、大相撲では玉鷲が優勝してた。すごいよ玉鷲…!今場所はあまりちゃんと観れてなかったのですが、本当に嬉しいです。おめでとう。一方で高安が優勝目前でまた逃してしまったのはちょっと切ない。高安が賜杯をもつ姿もいつか見たいです。若元春、若隆景が兄弟で三役揃い踏みをしたのはかなり感慨深い。。

藤井隆さんの「私とRoyal Host」を手に入れたくて、人生で初めてロイヤルホストに行ってきました。なんでかちょっと緊張した。オニオングラタンスープがめちゃくちゃ美味しかった。帰り道はもちろん、「Music Restaurant Royal Host」を聴きながら帰りました。

20220922

冬が距離を詰めてきている。寒い。アイスコーヒーが飲めなくなってきた。代わりにエアロプレスで淹れたあったかいコーヒーをタンブラーに詰めて、今日も働きに出る。

お昼はあったかいものが食べたくて、いつもの町中華に行った。いつもそれなりに混んでるのに今日は他に誰もお客さんがいなくて、店のマスターは新聞の数独を一生懸命やっている。わたしが注文した広東麺をせっせと作り、箸休めにとポテトサラダをくれたあと、また数独に戻っていった。「活字を読むのは苦手なんだけど、数字は昔っから好きでねぇ、見るとついやりたくなっちゃうんだよ〜木曜日はこっち(この辺りの地方紙)とスポーツ新聞もあるから毎週楽しみでさ」と教えてくれた。いつもここでの待ち時間は手持ちの本を読みながら過ごしているのだけど、「最近のお客さんはすぐスマホ見出すけど、あんたは文学少女だね、いいねえ」みたいなことも言われた。「いつもありがとね」と、だいぶ顔を覚えてもらえているみたいで嬉しい。

広東麺。ここのは醤油ラーメン(美味しい)と同じスープの上に
あんかけ焼きそば(美味しい)と同じ餡がのっている。美味しい。

シェアハウスにはシャワーしかないので、湯船につかりに銭湯に行った。初めて行ったのだけど、思ったより近かったのでちょっと嬉しい。壁には朝焼けに染まった富士山の大きな壁画。地下にサウナがあるちょっとめずらしい銭湯なのだけど、閉店間際だったのでサウナに行く時間がなかった。次はもうちょっと早く来てサウナにも行きたい。
番台の横の、コーヒー牛乳や缶のポカリが並んだ冷蔵庫の中になめ茸もあってびっくりした。なめ茸?!銭湯でなめ茸買うことってあるん?常連のおばあちゃんとかが「明日の朝ご飯にでも食べるかねえ」みたいな感じで買うのかな。
わたし以外のお客さんは皆常連で顔見知りのようで、「おやすみ〜」と言い合いながら帰ってく様子がよかった。週1くらいで来たい。

銭湯からの帰り道、いつもの雑なプレイリストを聴いてたらシャッフルでスピッツの「恋のうた」が流れてきたのが非常によかった。ミルク色の細い道。銭湯で牛乳飲んでくればよかったかな。そのあと今日配信されたThe 1975の新曲「All I Need To Hear」を聴いたらこれもまたよかった。The 1975の歌詞って難解なイメージだけど、この曲はめずらしくシンプルで、ところどころ聞き取れて嬉しい。シンプルであるがゆえの美しさがここにはあると思った。

20220920

今日観た映画:ウォン・カーウァイ『恋する惑星』(1994)『天使の涙』(1995)

※ストーリーについてのネタバレはありませんが、映画の核心に触れる部分について書いています。知りたくない場合はここで目を閉じてくださいね。。

 

 

 

 

『恋する惑星』が「雑踏ですれ違う見知らぬ人々の中に 将来の恋人がいるかもしれない」という語りで始まるように、あるいは『天使の涙』で口の利けない男・モウ(金城武)のモノローグとして「毎日大勢の人とすれ違うが、その誰かと親友になるかもしれない だからすれ違いを避けない」とたびたび語られるように、どちらの映画も(中国返還前の)香港という都市や、そこでの日常に潜む偶然性から成り立っている。街中で偶然すれ違うふたり、偶然手に入れた部屋の鍵、居酒屋で偶然流れる忘れたかったあの曲…。ネオンが煌めき、人で溢れる香港に暮らす登場人物たちはこの「偶然」に翻弄され、それをスクリーン越しに観る私たちもまたこの「偶然」に惹きつけられる。映画の中の「偶然」には然るべき結末がやってくるけれど、現実に暮らすわたしたちの生活の中にもまた、大なり小なり偶然のできごとが起きているわけで、それを切り取って並べたものなら、わたしたちが営むごくごく平凡な生活だってウォン・カーウァイの映画のワンシーンになりうる気がしてくる。もちろんカメラマンはクリストファー・ドイル*1で。「今のできごと、ウォン・カーウァイの映画みたいだった!」なんて時々思えたら、生きることももうちょっと楽しくなると思う。

昨日観た『はなればなれに』同様、どちらもほんとうにほんとうに好きな映画。言葉で説明できる範囲を軽々と超えてくるし、言葉の無力な側面をこれでもかと叩きつけてくる。『恋する惑星』に期限間近のパイナップルの缶詰がたくさん出てくるように、缶詰にも、恋にも、この世のあらゆるものには期限があるけれど、どちらの映画も最後には人がもつあたたかさは永遠だと教えてくれる。『天使の涙』の登場人物たちは皆何かしら傷ついていて、一見寂しい物語にも思えるけど、最後の最後にもたらしてくれる優しいあたたかさのことをわたしはずっと忘れないと思う。
『恋する惑星』の2本目(トニー・レオンとフェイ・ウォンのパート)が記憶していたよりはちゃめちゃでたくさん笑ってしまった。でも他のお客さんが笑ってる感じにはあまり思えなくて、「え、もっと笑っていいんじゃない?」なんてひとりで思いながら観てた。トニー・レオンの役名が633なのがめちゃくちゃ良い。

映画を観に行こうと外に出た瞬間、寒くてびっくりした。涼しい通り越して寒い。昨日は半袖Tシャツでよかったし外でジェラート食べても平気だったのに、今日は長袖のシャツを着ていても寒く感じた。雪駄を履ける季節が終わってしまった。

*1:ウォン・カーウァイの映画の多くで撮影を担当している。

20220919

今日観た映画:ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』

昨日の日記に「朝風呂に行く!!!」などとデカめの決意を書いたにもかかわらず、しっかり寝坊して朝風呂チャンスは逃しました。こうなると思ったよまったく!!!(ところでこの「デカめの決意」というワード、四千頭身の漫才に出てくる「ケツ出す決意」みたいでおもろい。)
朝風呂チャンスを逃すと同時に、両親から電話で「上越までカレーを食べにいこう」とお誘いがあったので乗っかることにした。カレーを食べるために県境を越えるなんて、こんな楽しいことはないと思って。カレーはミールス風のプレートでとっても美味しかった。スパイスも野菜もたくさん摂取できて嬉しい。スパイスカレーを食べると元気になるな〜〜食べたあとの充実感がとても大きくてごきげんになったので、もしかしたら美味しいカレーは生活を整えるための要素になるかもしれない、なんて思った。

手前:カレー2種盛りのプレート 奥:カレー2種+10種類くらいの副菜がついた定食

そのあとは直江津にあるデカい無印良品に行った。デカいから本もたくさん売っていて、そこはジャンル分けやセレクトにかなりこだわっている書店のようでとてもよかった。気になる本をいくつか見つけて全部買いたい気持ちになったけど、イ・ランの『話し足りなかった日』だけ手に取り、あとはいつも通りの無印での買い物をして帰った。

新潟は台風の予兆のせいかかなり蒸し暑かったので、長野に戻ったら「ジェラートが食べたいね」となって小布施の美味しいジェラート屋さんに寄った。ちょうど新栗の季節なので、小布施で車を走らせているとたくさん実のついた栗の木ばかりが目につく。残念ながら栗のジェラートは売り切れてたけど、なんやかんやいつも選んでしまうピスタチオのジェラートはやっぱり美味しかった。お店の方の好意でひと口だけもらった蕎麦のジェラートもとても美味しかったので、次来たらこれにしようと思う。

帰宅してコーヒーを淹れたあと、もう何年も前からずっっっと観たいと思っていた映画をやっと観た。ゴダールの『はなればなれに』。3人で踊るあの有名なシーンを目にしたとき、わたしはこの映画を愛さずにはいられないと思った。この映画のどんなところが好きか、どんなふうに好きか、なんて言葉で説明できる範囲を軽々と超えていく。自分の中に巻き起こるこの感じがとても楽しかった。ありがとうゴダール。あなたが生きているうちに、あなたの映画を映画館で観れたことは紛れもなく幸運なことだった。
冒頭から少し経って「遅れてきた観客のために 映画の要点を説明しよう」とモノローグが入ることで、映画の作り手とそれを観ているわたしたちの距離が一瞬で消え去ってしまう。もう大好きだ。60年も前に作られた映画なのに、このひとことで60年という時間の長ささえもほとんど無いように感じられた。これを映画館で観れない悲しさったらない。いつか映画館で観たい。

映画を観ることの歓びとはこのことで。映画に限らず、言葉を超えて好きだと思えるものと対峙する瞬間、体温がぐっと上がり、自然と広角が上がってしまう瞬間のこと。これらは容易に言語化できるものではないし、全て言葉にして吐き出してしまったらこのありあまる歓びを手放してしまうというか、雑に上書きしてしまう気がするのでやめておこう。自分の中にしばらく留めておきたい。観てよかったと、今言えるのはそれだけ。

20220918 生活を整えるための日記?

日記の更新もかなり久しぶりになってしまった。そのくらい、最近は生活が整っていない。めずらしく遅番のシフトばかりだったからかもしれないけど、それだけじゃなく日々の営みに疲れていたのだと思う。かろうじて出勤はできていたけど、それ以外はほとんど眠るか、ぼんやりと動画やSNSを眺めていた。せっかく買った食材の期限も切らしてしまった、カット野菜とかお豆腐とか。食材の期限を切らしてしまうと、生活のだらしなさを実感するなあ。あとなんでもやしってこんなに期限が短いんでしょうね。。

タイトルにも書いた通り、これは生活を整えるための日記、なので生活を整えるためにやることを書いておこうと思います。実績はありませんが。とりあえず明日は朝風呂に行くことだけは決めている。新居はシェアハウスだからかシャワールームしかなくて、ここのところ全然湯船につかれていないのがよくない気がして。自転車で10分くらいのところに温泉があって、日中より朝風呂の方が入浴料が安かったので朝行く!!!!と決めた。朝風呂に行けたなら、午前中には家事を済ませて、本を読み、午後には映画を観に行こう。映画の前にはいつものコーヒー屋さんに行って、タンブラーにラテを詰めてもらえたら最高。

うわ、朝風呂一発でこんなに都合よく整うもんかな〜〜。でも生活を整えるための手段が「朝風呂に行く」か「散歩する」しか思いつかなかった。。具体的な解決手段というよりかは、間接的に生活に余裕や余白をもたらしたいのだと思う。本を読んだり映画を観たり、散歩をしながら街を眺めたり、あるいはこうして日記のような文章を書き残すための時間と心の余裕が欲しい。時間だけがあっても、どこか疲れていると本を読んだり映画を観たり、という行動ができなくなってしまうから。いきなりうまく行くかは分からないけど、とりあえず明日は早めに起きて風呂行くぞ!!!(デカめの決意)

初恋の悪魔、いよいよ全体像が見えてきてどきどきしている…!ジャズ調のメインテーマ、もともと素敵だけど後半に入ってからRHYMESTERのラップが添えられてハイパーかっこいいです。かっこよすぎて聴くたびにやけてしまう。

20220910

デンマークの椅子と夏の夜の夢

朝から高速バスに飛び乗り、久しぶりの東京へ。池袋に降り立ち、人の多さに少し酔いながら、流れるように、あるいは流されるように上野へ向かう。
このタイミングで東京に行けたので、ずっと行きたかった東京都美術館の展示「フィン・ユールとデンマークの椅子」を観に行った。東京都美術館に行くのは3年前のクリムト展以来。デンマークの家具デザインの歴史を俯瞰しながら、フィン・ユールという人物にフォーカスを当てていく。彼が自分のデザイン事務所を構えたのが1945年だと知って驚いた。この年といったら第二次世界大戦が終結したというイメージしかなかったけど、世界の歴史はそれだけじゃなかったことを知れたから。フィン・ユールはデンマークの家具デザイン界では主流から少し外れた系譜にいたこと、内から外へとデザインする建築、椅子の曲線が空間にもたらす効果、どれをとっても面白かった。食事や何かテーブルに向かって作業をするための椅子と、座ることだけが目的の椅子と2種類あって、わたしも後者の椅子が欲しくなる。今の部屋には1人がけのソファをちょうど良く置けそうな空間があるので、どんなソファを置こうか夢見るにはとてもいい機会だった。

展示の最後にある、実際に椅子に座れるコーナーを思ったより楽しんでしまい、慌てて次の目的地・日生劇場に向かう。けどちょっと遅刻しちゃった。舞台「夏の夜の夢」を観にいく。髙地優吾さんがきっかけだったけど、こうして生のお芝居を観るのは今まであまりしてこなかったことだから、目の前で繰り広げられる芝居の、俳優さんたちのエネルギーにただただ圧倒された。生きてる、って思った。目の前に映る俳優さんたちも、それを観ているわたしも。普段は映画ばかり、舞台とは別の意味で完成されたものばかり観ているから、同じ時間や同じ空間を共有していることに不思議な感動があって、そこではマイクを通さずとも肉声が響き渡り、目の色や表情が実際の距離感で、実際のサイズで見えるのがよかった。予習なしで観に行ってしまったけど思ったよりコミカルな演出で、会場全体で笑いが巻き起こる感じが好きだった。生駒ちゃんがめちゃめちゃ喧嘩してたし、南果歩さんが舞台上で数十分眠ってる場面があって、自分だったらほんとに寝ちゃうだろうな、とかいらんことも考えちゃったけど。最後の妖精の子役の子が言ってたセリフがよかったな。カーテンコールで髙地さんがいつもの満面笑顔で手を振ってたのが最高でした。髙地さん素敵だったよ…!日生劇場の内装が貝殻みたいで可愛かった。

好奇心だけで、SixTONESとオードリーが来る数時間前のニッポン放送の前まで行ったあと、「今日って十五夜らしいよ、月見バーガー食べちゃうか」と言って風情も何もない月見バーガーを食べました。今夜の月はいつもより眩しい気がした。「夏の夜の夢」をみた夜、って感じがしてちょっと嬉しい。

20220908

優しさとか強さとか弱さとか、ああもうなんだかわからなくなってきた 持ち前の明るさみたいなものがほしい あなたの目を見て好きだと言いたい 名前を呼びたい

(下書きに残したツイートより、一部改訂)

20220907

気の置けない友だちと会うとき、ごく自然な流れで音楽の話になることが多い。お互いがそれぞれの生活をそれぞれの土地で営む中で、最近発見したいい音楽とか、毎朝支度しながらこの曲やこのアルバムを聴いているとか、このアーティストの(来日)公演があったら行きたいねえ、一緒に行こうねとか。そんな友だちのうちの1人が、以前会ったとき藤井風さんのアルバム・LASAの中だと「ガーデン」が好きだと言っていた時のこと。ひとりになった時にこの曲をちゃんと聴いたらそれまで以上にいいなと思えたし、この曲を好きなのはとてもこの人らしいなと思った。何よりこの日はとてもいい時間を過ごせたから、この日以降、シャッフルで「ガーデン」が流れてくると、この日のことや、この気の置けない友人のことを思い出す。自分が意図していないタイミングで流れてきた曲で、こうしたことが自然と思い出されるのがとても嬉しい。
他にもこんなふうに、誰かと一緒に過ごした時間の記憶や、その人そのものと紐づいている曲がいくつかあって、そんな曲たちにだいぶ支えられている。だから、友だちと会っていい時間を過ごせたなら、最近の好きな曲とか帰り道におすすめの曲を聞き出して自分のものにしちゃったりしている。何気ない曲かもしれないけど、それは過去から未来を照らすあたたかな光になるから。

 

今日はスーパーからの帰り道、いつもの雑なプレイリストを聴いてたらカネコアヤノの「祝日」が流れてきて、思わず口ずさんでしまった(わたしが祝日だからではないんです)。「幸せのためならいくらでもずる賢くいようよ いつまでひとりでいる気だよ」というフレーズを歌ったとき、その歌詞を反芻しながら、わたしはもっと幸せでいることを目指そうと思った。ずる賢いとかそういうのはあんまり得意じゃないけど、幸せでいるために勇気を出すこととか、そのための努力を恥ずかしがらずにしてみたい。