20220813

 ホン・サンスの『イントロダクション』を観た。モノクロームの66分。この前観たホン・サンスの過去作『夜の浜辺でひとり』にも冬の海が出てきて、それは孤独や寂しさの輪郭をやわらかく映し出していた。今日『イントロダクション』を観て、わたしはこの人の映画を通じて自分の孤独や、寂しさや、言語化できない生きづらさを認識できるのだと思った。ホン・サンスの撮る冬の海を通じて、または長回しのなかでタバコを吸いながら会話する登場人物たちの、行間に見える曖昧な表情を通じて、わたしは自分の輪郭を認識できる。自分と向き合うことができる。好きか嫌いかは置いといて、自分の輪郭を認識するために、向き合うために、わたしはこの人の作品をもっと観たいと思った。

 と、映画の感想や、映画を観て考えたことを文章にするとこんな感じになるのだけど、映画について誰かと話すとなると、必ずしも同じ言葉は出てこない。(相手によるものの)同じ言葉で誰かと会話はできない気がする。わたしの場合、文章にすることと、話すことでは、言葉の出力のされ方が全く違うのだと思う。文章の場合は思考を反芻して深いところから出てきた言葉、誰かと話していて出てくる言葉は手に取りやすい場所にある選択肢、という感じだろうか。Podcastはその中間かな。だからわたしはこうして文章で日記を書き残しておくし、ひとりでしゃべっている音声を残してみたり、信頼できる人と会話をする。ここ最近は毎日日記を書けているけど、会話が少し足りていないなあ。会話で使える選択肢をもっと増やしたい。