日記を書くのが下手になった自覚が、だいぶ、ある。いや、もともと上手だったわけではないんですが。代わり映えのしない日々ばかりで、気持ちもどこか落ち込んでいる。そんな日々の出来事を羅列していく気力もあまりなかったし、日記に書くようなことなんて無いと思い込んでいた。
「代わり映えのしない日々」だなんて書いてしまったが、解像度を上げていけば、毎日違うことを考えていて、違うものを食べていて、違う人と話をしているから同じ日なんてむしろないのだけど。ここ最近は生活に対する解像度がかなりぼやけている気がする。
感情を動かされることに、少し疲れている。感情100のコミュニケーションをして思わぬ反応に傷ついてしまったり、重みのある映画やドラマは感情が疲れてしまう気がして、惰性でYouTubeの疲れなそうな動画ばかり見てしまう。
仕事を終えて買い物を済ませた帰り道、夜ご飯のことを考えながら歩いていて、前に読んだ本で植本一子さんが、料理をすることを「食べたいというエネルギーを、ちゃんと形にすること」と表現していたことを思い出した。この言葉は以前日記にも書いたのですが、すごくいいなと思って。
食べたいというエネルギーをちゃんと形にできているうちは、わたしは、まだ大丈夫だと思う。だから、エネルギーがあるときにはちゃんとごはんを作ろう。
この言葉は生きること全般にも当てはめることができるんじゃない?とさらに歩くうちに発見した。「生きたいというエネルギーを、ちゃんと形にすること」をわたしはもっとまっすぐに実践していきたい。行きたい場所に行くとか、観たい映画はやっぱり映画館に観に行くとか、美味しいものを食べに行くとか。ほかにも、手段は幾つでもある。今日はこの前の「silent」を観て食べたかったプリンを食べたり、ハーゲンダッツ2個400円という値札に素直に従ったりした。なんか落ち込むことばかりで、生きるの向いてないなあなんてつい思ってしまうけど、生きたいというエネルギーをちゃんと形にできているうちは、わたしは、まだ大丈夫だと思った。